サウジに出張に来ると、日本にいる時よりも長く睡眠をとるのに、眠い。
時差ぼけの影響もあるかもしれないけど、二ヶ月もいた前回もそうだったので、多分日本で仕事するよりも疲れるんだと思う。
今こっちでやってることは会計監査の対応で、実はやった事が無い業務なので、日本でやっても疲れるんだろうけど、不慣れな土地でやってるからなおさら。
特に、何度も何度も書いてるからアレなんだけど、やっぱり英語が問題なのだと思う。
普通の議事録や連絡のメールなんかでも日本語で書く場合の1.5倍位の時間がかかる。
僕の英語の情報処理能力は多分日本語の半分以下なんだろうけど、英語で書いたり話したりするときはアウトプットする分量を絞らざるを得ないので、時間は2倍にはならないんだなー。頭の負荷は高いけど。
そういう意味では要点だけ掻い摘もうという努力にフォーカスが行くのは、外国語を使う利点かもなあ。日本語だと書きすぎちゃうから。
それはさておき、英語ができないとどんだけやばいのか、やはり英語で仕事をすると身につまされてくるので、自分を叱咤するために感じたことをメモしたい。
前の出張時もどこかで似たようなことを書いたけど気にしない。
◆まず、採用されない
サウジでの勤め先では既に8人のサウジ人を雇っているけれども、本社に置いている人員は、最低限、業務連絡くらいは英語で会話ができることを面接で確認して選んでいる。
これは当たり前で、日本人でビジネスレベルのアラビア語ができる人なんでほとんどいないのだから、少なくとも社内にはいないのだから、部下と意思疎通ができるためには部下が英語ができることが必要だ。日本語がペラペラなサウジ人も一人雇っているのだけど、彼は例外。
これと同じことが日本で起こらないなんて、誰が言えるのだろうか?
完全外資の企業であれば当たり前だろうけど、部分外資であっても、ホワイトカラーであれば自分が身を置くレポートラインに一人でも非日本語話者がいれば報告は英語で流さざるを得ない。
だから会社は、それが出来無そうな人は採用しない。
純日本企業であっても、事業を海外展開している場合、ホワイトカラーであれば英語が必須になるのは自明だし。楽天とかユニクロとかソフトバンクの例のように。
よく、「英語が出来ても仕事ができなきゃしょうがない」と言う人がいて、その文言自体は間違いじゃないけど、英語でビジネスする環境では英語ができないと仕事にならない。「英語が出来ることに付加価値はない」ということは「英語ができなくてもよい」ということは違う。それらを取り違えないようにしないと困る。
◆低い階層の職に採用されるかもしれないけど、昇進できない
サウジの工場では作業員を雇う。彼らには英語が出来るかどうかは不問で、人材派遣会社に人選を任せる。まあ、話せるに越したことはないけど。というのも、幹部やスタッフ(製造・技術・事務含む)が彼らに直接指示を出すことはないから。
逆に考えると、現業職であっても、スタッフ以上の人員と直接やり取りするクラス(現場の一工程の1シフトの長相当)には英語でのコミニュケーション能力が要求されるということなんだなー。
とすれば、英語ができない場合、上の作業員から指示されたことのみを黙々とやる単純労働からは抜け出せないことになる。技能の問題ではなく英語の問題で。
ただ、インド人は底辺の人でも流暢に英語話すんだよねー。僕は聞き取れないんだけど。
あと、オフィス仕事で言うと、ある程度英語での会話で意思疎通ができれば、読み書きが怪しくても事務作業員にはなれる。
でも、読み書きが怪しいと、スタッフ(ホワイトカラー、総合職)にはなれないんじゃないだろうか。
話してると特に英語に不自由な感じはしないけど書かせると全然意味が分からない英文を書く人というのもいて、単純な連絡事項のメールくらいならいいけど議事録とかはきつい。多分彼らは学校での規範的教育ではなくいきなり仕事上の実践で英語を学んだんだろうなあ。なんでA4×2枚の報告書に5個くらいしかピリオドがないんだろう?
経営者への報告は通常文書でするので、書けないと一定以上の階層の職員にはできないと思う。
◆結論:
日本経済がもっとグローバル化したら、普通の民間企業では、英語ができないとホワイトカラーにはなれない。もしくは、なれる可能性がとても低くなる。