赴任してきてからなんか頭の回転が悪くなっているような気がしている。頭というか、前からそうだけどさらに注意散漫になって考えが浅くなったような。
仕事が多岐に渡っていいるとかの仕事とスケジュールにまつわる理由以外に、本を読んでないという理由もあるような気がしている。
少なくとも今年に入ってから、本を読んでいない。1ページも読んでいない。去年もほとんど読んでない。
活字と言うなら、仕事でだって契約書も読めば税務規則も読むけど、そういった実務の活字を読む体験と本を読む体験というのは全く違うもののように思う。
仕事でも私生活でも、必要上読む文章ってのはその情報が直面している状況に機能することが重要なんであって、その背景にどういった理論があろうがなかろうがどういった公理に基づいていようがいまいが、大抵関係ない。どうでもいい。
法律はもちろん大体の分野にはそれなりの決まりごとの体系や理論があるわけで、常にそれに基づくのが正しいんだろうけど、ある実際的状況に対処するときにそれを追うかっていうと、すくなくとも僕は追ってないな。
経理の仕事で言えば、例えば仕訳に悩んだ時にIFRSの精神的に考えて~とか考える事もないではないけど、普通は会計士やら本社の経理部やらに訊いてしまうか該当する会計基準やフレームを参照して終わりにする。理論的な検討とか、しない。すべきなんだろうけど、しない。時間ないし。
でも本を読むという行為では、いや、世の中には本当にいろいろな本があって一概には言えないけど、一つの命題や理論を突き詰めていくことが可能で、最近の僕にはそういうことが足りていないのではないだろうか。実際の問題に際して理論的に体系的に考えて行動を決めるということができないのは、時間がなくてとかではなくてそういう習慣が失われた(or元から持っていない)だけではないか、本を読んでそういう習慣を取り戻さなければ(or身につけなければ)いけないのではないか、と思った次第。
まあ、考える習慣というか、専門的知識に関して言えば、それを使う状況になった時に前もって頭に刷り込まれていない体系的知識は、状況に応じて参照して利用するとかできず、予め叩きこんでおくことが必要で、そういう意味でも(学習の一環としての)読書が必要ってことだろうか。
似たような現象として、最近自分の英語が下手くそというか雑になってきている気がしている。文法が以前にもましてテキトーになっている。
これは、最近お勉強としての英語をやっていないからではないだろうか?もう1年くらい、正しい英語表現を心がけて体系的に学習するということをしていない。さっきの話で言えば、本を読んでいない状態。
英語圏ではないところのビジネス英語というのは、非常にシンプル、かつ、文法はテキトーだ。みんなネイティブじゃないので、誰でもミスを犯すわけで、いちいち文法ミスを気にする人などいない。文法的な理由で相手の言っていることがわからない場合は確認のために質問をするだけ。自分がしゃべる時は、まず短い文で結論を言ってから、それが不十分ならあとから修正したり補足したりすればいい。どれも短くて文法がテキトーな文で。文法的な正確性よりも反応の速さのほうが重要だ。
僕の英語はハッキリ言って下手だけども、サウジ人同僚やパキスタン人会計士やドイツ人輸送業者やインド人水道屋やフィリピン人人材派遣業者やサウジ人不動産屋と毎日打ち合わせや交渉なんかをしているわけで、いまの仕事環境に十分なだけの英語能力がとりあえずはあって、それなりの経験も積んできた。なのになんだか前より下手くそになっている。
これはひとえに、長らく”正しい英語”の学習をしてないからだと思う。TOEICは役に立たない試験だとよく言われるが、あの英語は少なくともブロークンではないわけで、あれの勉強をしてた頃は反応速度は非常に遅かっただろうけども、よりブロークンでない英語を話していたように思う。反応速度が上がった今、というか、本当は常に、正しい英語の学習をする必要があったんではないかと思っている。
いっくら本番でそのスキルを使っていて、ある面(この場合は反応速度)に成長が見られたとしても、本番で磨かれる面がそのスキルの全てではない、というか本番で磨かれる部分というのは偏っているので、オフ本番で満遍なく色々な面を磨かなければいけないんだな。
経理(といっても広いが)の仕事をしているからといって簿記・会計の勉強が不要かといったらそんなことはないというのと同じ。
というわけで、今日から、伊藤さんからもらったのに放置していた『20代からのファイナンス入門』を読みはじめたりDSの『英語三昧』を再開したりしようとおもう。
ちなみに、アラビア語の勉強はゼロで、あれです、もうアルファベットもおぼつかなくなって来ました。
「英語で悩み相談されたら・・」
返信削除ということを想像すると、夜も眠れません。