2013年9月29日日曜日

日本滞在まとめ



◆UM結成9周年記念イベント「9日目の雨」
9周年おめでとう御座います!


写真:マタリカ(真剣に解散を考えている。)、ホーデン(燭台(仮))、藤宮☆タク(アム)

アムは相変わらず複雑な曲展開かついろんな表現手段(音楽、エフェクト、映像、ダンス他)を織り交ぜてて全然ノれないけど、ひとつのステージとしてまとまってるのがすごい。現在につながるアムとしては9年の、藤宮くん個人の試行錯誤としては14年くらいかかってて到達してる境地だからな。
この時藤宮くんにもらったアムの比較的新譜の『雨の夜の為の室内楽』のシークレットトラック(?)が懐かしい曲で和んだ。
この後打ち上げで神楽坂エクスプロージョン(ライブハウス)のすぐ横の居酒屋竹ちゃんで、燭台(仮)の蜉蝣ことサイクロプスのモミー氏と一緒に帰国後初のたまごかけごはんを食べた。なんかたまご以外にもふりかけがかかっててすげーうまかった。
その後、祖父母宅と実家に滞在中は毎朝たまごかけごはん食ってた。
蜉蝣くんとは色々熱く語った気がするけど、結論はいつも「サウジに来なよ」だった気がする。サウジに来れば大体のことは解決するから。


マタ「日本に帰って来たら玉子かけご飯を食べたかったんだよー!」
蜻蛉「玉子かけご飯ってめっちゃ美味しいですよね!」

マタ「Zzzzz...」
蜻蛉「Zzzzz...」
https://twitter.com/um0919/status/379578877724459008/photo/1
https://twitter.com/um0919/status/379579149607632896/photo/1
(撮影:藤宮☆タク)

たまごかけごはんを貪って睡眠に入るまでの二人のシンクロ率、100%。


◆サイクロプス飲み会
歌置き場というサイトにてクソ漫画の楽曲化に取り組んでいたJJ氏と架神さんが中心となってクソ漫画愛好者を集めて結成された「サイクロプス」というバンドに、なぜかクソ漫画愛好者ではない僕も参加していた。このバンドはもう活動してないが、今回いろいろ都合が合った(一部無理やり合わせた)のでメンバーで集まって飲んだ。高学歴とDQNで結成された二極化社会を体現したバンドだが、クソ漫画話とDQN自慢には階層の垣根がないのが素晴らしい。僕はDQNとリア充が嫌いだが、このメンバーと話してる間だけはDQNを愛せる気がしてくるから不思議だ。リア充は愛せない。
元シンクタンクで現在某人材輩出企業にお勤めのキーボード担当の愚痢威怒(グリイド)様の話によると、今イスラム関連のセミナーが盛況であり、ほとんどイスラム地域について知らないような輩でも無料セミナーを開けば満員だとか。イスラム関係コンサルタント業を開業するなら今だ、と焚き付けられた。別に金にならなくてもいいけど、日本に本帰国したらなにかできるよう材料集めしたい。
ちなみに、このバンドでの僕の名前は暗井くんです。
関連:二晩連続で飲んだ蜉蝣ことモミーのブログ記事「サイクロプス」
http://ameblo.jp/syokudai/entry-11616346447.html


◆アートアクアリウム(ナイトアクアリウム)
http://h-i-d.co.jp/art/nihonbashi/

もし開催期間中に帰れれば見ようと思ってた催し。見れてよかった。たしか金魚すくいは海外一部地域では動物虐待とされているらしいが、それならこれも虐待ではないだろうかと思うが、綺麗だからオッケーだよね?
横長のスクリーンをバックに鯉を泳がせて四季の映像を流す奴はそんなに面白くも綺麗でもなくて別に要らないんじゃないかと思ったけど、人の流れを制御するために必要なのかもしれん。
会場はカップルだらけだったので、脳内で一組ずつ殴って歩いた。


◆ロボットレストラン
かがみさんが絶賛してたショーレストラン(?)@新宿。これは絶対見ようと思って帰国した。うまく予定が合ってかがみさんとその友人と一緒に見れた。




静止画を見ると、女の子がきわどい衣装で踊っててエロそうだなと思うかもしれない。僕もそう思ってたしそう期待してた。
もちろんそういう要素はあったけど、そういう要素では語れないというか括れないというか、このショーが何なのか一言で言い表すのは無理だ。最初に女の子が出てきた時には「エロい女の子キター(ニヤニヤ)」的な感情を持ったけど、その後ショーが動き出してからは、そうやって欲情する暇がほとんど無かった。
若い女の子、エロい衣装、踊り、ノリの良い音楽、恐竜、きぐるみ、でかいロボット、クルクル動くロボット、未来的な乗り物、とにかくビカビカ光る電飾、戦闘、勧善懲悪、ちょっとしたスタント。。。
こう、ショーの観客が喜ぶ要素というものを思いつく限り全部詰め込んだ結果がこれ、というような。コンセプトとかマーケッティングどうこうとか、そういう思想を超越したところにある見世物。
天国か地獄かで言ったら天国かなあ。自分が事故に遭ってしばらく昏睡した後に目を覚まして見た光景がコレだったら天国と思うもん。いま新宿に絶対神の預言者が遣わされて天国のビジョンを説くとしたらこんな感じだと思う。でも、人々が理解できるかどうかは分からない。観客の1/4くらいはガイジンだったけど、一体これを何だと思ったのだろうか?こういう経験をすると、人間の理解と言語による表現には本当に限界があるなあと思わされる。
そう考えると、全知全能の絶対神というものがいたとして、その神が預言者や使徒や子を遣わすとして、それまで数百年くらいのスパンで随時派遣してたのに2000年前とか1400年前とかのある時点でその派遣を止めてしまうというのは一体どういう了見なのかと疑問を持たざるをえない。人間の文明の発展とそれに伴う理解や表現の進展に合わせて随時派遣しないとうまく神の意図が伝わらないでしょう?1400年前はメディアといえば口伝と文字だけだっただろうけど、現代のアーティストを預言者として選べば、ロボレスみたいな舞台を作ることや、映像を作ることや、オーディオ作品を作ることで人々にもっとクリアに預言を伝えることもできるわけだし。
例えばロボレスが天国そのものだったとして、神が1400年前の砂漠の商人にロボレスのビジョンを見せても「光る女と人間の形の鉄が踊ってて、まぶしい」くらいの理解しか得られないし、ビジョンを見ていないその辺の人たちに説明し得ないと思う。たとえその人物がどんな天才だったとしても。神に限りはなくとも人間には限りがあるわけだから。というか「川が流れて果樹がそこら中に実る」とか、砂漠に住む人間の理解でしかないと個人的には思う。温帯から熱帯の湿潤気候の地域の人が聞いたら「え?俺たちが住んでる所天国じゃね?」ってなりかねないし。多分預言者が東南アジアに派遣されてたら神が与えたビジョンが一緒だったとしてももっと違う天国像を得たはず。フィリピンとかインドネシアのムスリムがどう考えてるのか知らんけど。


◆ヒゲドライバー
CAMPFIREでやってたヒゲドライバーのバンド音源プロジェクト支援のリターンで、ヒゲドライバーのこれまでの自主制作音源一式が実家に届いてた。とりあえず全部mp3にして持ってきてサウジで聴いたけどどれも結構いいなあ。アマチュアがこんな音楽作ってたら、そりゃプロの市場は苦しいよなあ。プロの音源じゃないと満足できないというような要素ってもうほとんどないんじゃないの。メジャーシーンではPurfumeだけ健在ならそれでいいです。


◆まとめ
とりあえず総体として日本に帰っていつも思うのは、日本は本当に素晴らしい国だということ。自由がある。自由があることが目に見える。
女性が髪も顔も胸も腕も足も出して歩いてるし、女性が普通に働いてるし、宗教警察に逮捕される心配なく女性と話せるし、酒飲めるし、東京にはあらゆる種類の食があるし、ライブハウスがあるし、ライブハウスでなくてもそこらじゅうで音楽が流れてるし、ID持ち歩かなくても心配ないし(サウジでは外国人はおろかサウジ人もナショナルID持ってないと出歩けない)、特定宗教の教義にしたがって生活しなくてもいいし、水準の高い医療にも簡単にアクセスできる。まあ、酒とか食とかはどうでもよくて、女の子と接触ができるのがとにかく素晴らしい。

外国人として日本で暮らせば日本人として日本で暮らすのとは別の感想があり得ると思うけど、警官やガードマンの数が少ないことを考えても、在サウジの外国人よりは在日本の外国人の方が住みやすいと確信する。信教の自由もサウジよりは確実にあるし。
自由が幸福の構成要件の一部であるのであれば、日本で生活できることは幸せだと、日本在住の人には自覚してほしいね。

あと、日本からサウジに帰ってきたら「痩せたね、焼けたね」って会う人みんなに言われてる。実際に体重が1kgくらい減ってた。日本の人は「サウジに滞在」と聞くと日焼けするイメージのようだけど実際は違う。日本は外を歩くけどサウジでは歩かないから。歩かないから、太るしね。



2013年1月16日水曜日


これ
http://www.facebook.com/photo.php?fbid=10200422383787211&set=a.2168156208503.2153830.1384647064&type=1
に対する感想。
FBに書いたけど長くなりすぎたので転載。
内容的には『生物から見た世界』のステマです。

以下転載:

人間の物の認識の仕方は環境によって変わるので、朝のラッシュ時の駅は芸術的音楽を認識する条件が揃っていないというだけの話。
往来で男性が美女を見ても性的に興奮しないかもしれないけど、男性の自室でふたりきりなら興奮するんじゃないの。空腹でないときに他人の病室に置いてあるフルーツバスケット見ても”飾り”という認識だけど、空腹の時に自宅の台所にフルーツバスケットがあったら”食べ物”の認識になる。
路上ミュージシャンに限らず、店やら建物やら人やら、通勤ルートにも興味深いものは無数にあるが、それを”風景”じゃなくて「今入りたい店」「研究対象になる建物」「話してみたい人」とかいちいち認識していたら、まず、会社に辿りつけない。
人間も動物も、自分の目的・都合に沿ってかけたフィルターを通して世界を認識するので、他に優先すべき目的(あと◯◯分で会社に着く)がある場合には、それに寄与しない要素は”風景”として、非常に小さな情報量として処理するのが合理的だからそうしている。そうしないと生きていけない。
世界に存在する全ての物を、物その物として、ありのままに、本質を、認知しようなどということは、そもそも感覚器の限界もあるのでどんな動物にも不可能であって人間も例外ではない。
経済的価値と交換可能な芸術には、それがそのように交換される(べきと認識される)にふさわしい環境というものがあってそのような交換価値が付いているので、それそのものがそれだけで価値があるという事にはならない。

以上
以下、ツイッターから。



高名な芸術作品全てを鑑賞しなければならないわけじゃない。知り合った人と必ず友達にならなきゃいけないわけじゃない。古典をすべて読まなきゃいけないわけでもない。世の中には人生を捧げるくらいの価値のものが無数にあるので、99.99%無視して生きても問題ないし、人はそうして生きている。

音楽なんて、あれば楽しい事もあるけど無くても問題ない。世の中には僕が普段踏みつけて歩いているような砂とか泥とか虫とかを人生をかけて研究している人だっていて、その人にとってのそれらが音楽家にとっての音楽に劣るものだとは思わない。でも、僕はそれを無視して踏みつけて生きてもいいはず。

ちなみに、「砂とか泥とか虫とかを人生をかけて研究している人」は、『ボーンズ』のホッジンズ博士。


以上

以下、元記事

http://www.facebook.com/photo.php?fbid=10200422383787211&set=a.2168156208503.2153830.1384647064&type=1

ある寒い1月の朝、一人の男がワシントンD.C.の駅で座りながらバイオリンを弾き始めました。彼はバッハの曲を1時間程演奏しました。その時間帯は通勤ラッシュだったため、約1100人がその男の前を通りました。
3分後、ある中年の男はバイオリンを弾いている人がいると気づき、足を止めました。しかし、結局止まったのはほんの僅かな時間で、数秒後にはその場を離れました。
1分後、バイオリニストはやっとお金を稼ぐことができました。ある女性がケースに1ドル札を投げ入れましたが、彼女は止まることなく歩き続けました。
少しした後、壁に寄りかかって彼の音楽を聴く者が現れましたが、腕時計を見るとすぐに歩き始めました。会社に遅刻しそうだったのです。
一番彼の音楽が気になったのは、3歳の男の子でした。彼のお母さんは急いでいて、男の子の腕を強く引っ張りました。それでも男の子はバイオリニストを聞こうと足を止めます。お母さんは男の子の背中を強く押し、無理やり歩かせました。それでも男の子はずっと後ろのバイオリニストを見ながら去って行きました。他の子供も同様でしたが、親は全員例外なく止まることなくその場を去りました。
彼が演奏した一時間内で、足を止めて彼のバイオリンを聞いたのはたった6人でした。お金を入れてくれたのは20人程でしたが、止まった人は誰もいませんでした。稼いだお金はたったの32ドル。彼が演奏をやめ、駅が沈黙に包まれた時、気付いた人は誰一人いません。拍手はなく、このバイオリニストを認める人はいなかったのです。
バイオリニストの名前はジョシュア・ベル。彼は世界で最も才能のあるミュージシャンの一人です。彼はたった今、歴史に残る傑作を演奏したのです。それも3億円のバイオリンを使って。
彼の駅での演奏の二日前、彼のボストンでのコンサートのチケットは、一枚一万円するものの全て売り切れました。
これは実際にあった話です。ジョシュア・ベルが素性を明かさず行ったこの演奏は、人々の視覚・嗜好・優先順位を研究するための実験としてワシントン・ポスト紙によって行われました。私たちは本当に「美しさ」を理解しているのだろうか?それをちゃんと足を止めて味わっているのだろうか?予想していない状況でも、才能を感じ取ることはできるのだろうか?
一つ結論として言えるのは、
もし私達は世界で最も才能のあるミュージシャンが、歴史上一番の傑作を演奏してさえ気付かないのであれば、私達は他にもきっと多くの「美しいもの」を見過ごしているのではないか?


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2012年2月22日水曜日

いくら本番で鍛えていると言ってもバックグラウンドでの練習は常に必要という話

 赴任してきてからなんか頭の回転が悪くなっているような気がしている。頭というか、前からそうだけどさらに注意散漫になって考えが浅くなったような。
 仕事が多岐に渡っていいるとかの仕事とスケジュールにまつわる理由以外に、本を読んでないという理由もあるような気がしている。
 少なくとも今年に入ってから、本を読んでいない。1ページも読んでいない。去年もほとんど読んでない。
 活字と言うなら、仕事でだって契約書も読めば税務規則も読むけど、そういった実務の活字を読む体験と本を読む体験というのは全く違うもののように思う。
 仕事でも私生活でも、必要上読む文章ってのはその情報が直面している状況に機能することが重要なんであって、その背景にどういった理論があろうがなかろうがどういった公理に基づいていようがいまいが、大抵関係ない。どうでもいい。
 法律はもちろん大体の分野にはそれなりの決まりごとの体系や理論があるわけで、常にそれに基づくのが正しいんだろうけど、ある実際的状況に対処するときにそれを追うかっていうと、すくなくとも僕は追ってないな。
 経理の仕事で言えば、例えば仕訳に悩んだ時にIFRSの精神的に考えて~とか考える事もないではないけど、普通は会計士やら本社の経理部やらに訊いてしまうか該当する会計基準やフレームを参照して終わりにする。理論的な検討とか、しない。すべきなんだろうけど、しない。時間ないし。
 でも本を読むという行為では、いや、世の中には本当にいろいろな本があって一概には言えないけど、一つの命題や理論を突き詰めていくことが可能で、最近の僕にはそういうことが足りていないのではないだろうか。実際の問題に際して理論的に体系的に考えて行動を決めるということができないのは、時間がなくてとかではなくてそういう習慣が失われた(or元から持っていない)だけではないか、本を読んでそういう習慣を取り戻さなければ(or身につけなければ)いけないのではないか、と思った次第。
 まあ、考える習慣というか、専門的知識に関して言えば、それを使う状況になった時に前もって頭に刷り込まれていない体系的知識は、状況に応じて参照して利用するとかできず、予め叩きこんでおくことが必要で、そういう意味でも(学習の一環としての)読書が必要ってことだろうか。


 似たような現象として、最近自分の英語が下手くそというか雑になってきている気がしている。文法が以前にもましてテキトーになっている。
 これは、最近お勉強としての英語をやっていないからではないだろうか?もう1年くらい、正しい英語表現を心がけて体系的に学習するということをしていない。さっきの話で言えば、本を読んでいない状態。
 英語圏ではないところのビジネス英語というのは、非常にシンプル、かつ、文法はテキトーだ。みんなネイティブじゃないので、誰でもミスを犯すわけで、いちいち文法ミスを気にする人などいない。文法的な理由で相手の言っていることがわからない場合は確認のために質問をするだけ。自分がしゃべる時は、まず短い文で結論を言ってから、それが不十分ならあとから修正したり補足したりすればいい。どれも短くて文法がテキトーな文で。文法的な正確性よりも反応の速さのほうが重要だ。
 僕の英語はハッキリ言って下手だけども、サウジ人同僚やパキスタン人会計士やドイツ人輸送業者やインド人水道屋やフィリピン人人材派遣業者やサウジ人不動産屋と毎日打ち合わせや交渉なんかをしているわけで、いまの仕事環境に十分なだけの英語能力がとりあえずはあって、それなりの経験も積んできた。なのになんだか前より下手くそになっている。
 これはひとえに、長らく”正しい英語”の学習をしてないからだと思う。TOEICは役に立たない試験だとよく言われるが、あの英語は少なくともブロークンではないわけで、あれの勉強をしてた頃は反応速度は非常に遅かっただろうけども、よりブロークンでない英語を話していたように思う。反応速度が上がった今、というか、本当は常に、正しい英語の学習をする必要があったんではないかと思っている。
 いっくら本番でそのスキルを使っていて、ある面(この場合は反応速度)に成長が見られたとしても、本番で磨かれる面がそのスキルの全てではない、というか本番で磨かれる部分というのは偏っているので、オフ本番で満遍なく色々な面を磨かなければいけないんだな。
 経理(といっても広いが)の仕事をしているからといって簿記・会計の勉強が不要かといったらそんなことはないというのと同じ。

 というわけで、今日から、伊藤さんからもらったのに放置していた『20代からのファイナンス入門』を読みはじめたりDSの『英語三昧』を再開したりしようとおもう。


 ちなみに、アラビア語の勉強はゼロで、あれです、もうアルファベットもおぼつかなくなって来ました。





2011年5月19日木曜日

チュートーですよ

サウジではリビング・キッチン付き(つまりスイーツ)のホテル(300リアル≒6000円強/泊)に泊まっているので、時々自炊してる。
豚肉やみりんや日本酒以外は大体手に入るので、意外と普通に自炊できる。

サウジアラビアは特に外国人にとってはマジでリアルに本当に本物のハンパなくエグい程娯楽のない国なので、食事は最大の娯楽で、料理はとても有用な息抜きになる。
大切な事なので二度言いますが、サウジはマジでリアルに本当に本物のハンパなくエグい程女性と触れ合えない国なうえにネット上のポルノもかなり厳しくフィルタリングしています!
ギギギ……

性欲が食欲に転嫁されるわけではないと思うけど、日本にいる時とは飯を楽しみにする度合いが全然違う。自炊でも外食でもいつも飯が楽しみでしょうがないしガッツリ食べてしまう。楽しみなので食ってる飯とかを紹介したくなってついツイートとかしてしまう。そして太る。そして、太る。さらに太る。
一昨日久しぶりに体重を測ったら87kgあった。嘘だろ…
でもそういえば最近撮ってもらった写真には、僕の代わりにラクダや馬の脇に佇む、鶴瓶みたいな感じの顔の見知らぬメガネデブが写ってたんだよなー。ことごとく。

90kgに乗ったらなんとなく取り返しが付かないと思い、部屋でやる腹筋の他にホテルの事務で運動を始めた。一応、ここ3日は続いている。


ちなみに、一人で食ってるような画が多いけど、それはいつもかなり年上の人達と飯を食う関係上、写真を撮ったりするのを遠慮しているからで、かなりの割合で日本人上司と飯を食いに行っている。一緒に作ったりもする。基本的にドライバー付きの社用車しか移動手段がないから、あまり自由行動はない。


エビチリ:
クックドゥ使用。手軽に日本味のおかずができるし運ぶのもかさばらないのでクックドゥはかなり重宝する。

しょうがとチキンのスープ:
チキンをたくさんのしょうがと一緒にコンソメスープで煮た物。風邪引いてたので。

なすとトマトとチキンのスープと、買ってきたアラブサラダ:
サラダの正式名称不明。なんかの香菜を刻んでお酢をかけた物。香りが良くて食欲が湧く。

ゴーヤチャンプルー:
スーパーでゴーヤを普通に売ってるんで驚いたけど、ゴーヤの原産地ってインド~東南アジアなんだな。じゃあアラブへの伝播の方が沖縄・九州より早いよな。






2011年4月21日木曜日

イン・ユーテロ

 サウジ。4度目。
 12日20:50に成田を出て13日24:15(両方日本時間)にリヤドに着いた。疲れた。

 サウジに来ないとブログを書いてはいけないという縛りがあるわけではないがなぜかそうなっている。

 着いた日は砂嵐がひどかった。その日は日本が唯一の招待国として特別展示をしている国民的祭りジャナドリア祭の開会日でもあったんだけど、砂嵐で国王一行がなかなか来れず開会式が8時間遅れるというパンクっぷり。しかも結局国王は来なかった。早い段階で中止しろよもう…国王参加とあって多くの人(要人もかなり含む)が待っていたらしいじゃない。可哀想すぎ。
 開会式が5時間遅れている頃リヤド空港に着いた僕は、入国審査窓口で3時間待たされ、奇しくもちょうど開会式が始まった頃にゲートを出てきた。並んでたのは各列に30人くらいなもんで、特段死ぬほどの混雑ということはなかったが、最初の2時間は列になんの動きもなく、それでいて何の情報もなく、待たされた。一緒に並んでいたパレスチナ系アメリカ人だという青年が「ジョーク、ジョークだろこれ」とブツブツ言っていた。
 入国係官の入国待ちの人々(特に南アジア・東南アジアからの出稼ぎ労働者)に対する扱いはかなり酷く、列を整理するために先頭の人間の肩と襟元を無言で掴んで動かし、後列の方の人間にはバシバシと肩を叩いて回っていた。おいおい、そいつらの殆どもムスリムなんだから、ムスリム同士敬意を払えよと思った。
 なお、税関ではスーツケースを改められ、CD・DVDケースを開けられ「ノー・セックス、アブソリュートリー?」と訊かれたので、「オフコース!アブソリュートリー!」と元気よく答えると、特に再生チェックなどはせず元に戻された。椎名林檎のDVD数本と、こちらの滞在者へのプレゼントである映画(バットマンシリーズ、007シリーズ)などが入っていたが、事実としてノーポルノだったので自信満々に答えてやったぜ! まあ、再生されたら椎名林檎も007も見咎められる可能性はなくはないが。


 毎回サウジ出張では飯をよく食うせいで弛んでいる腹をさらに弛ませて帰るような状態なので、今回は逆に凹ませてかえってやろうと思い、成田でちょうど腹凹特集だったTarzanを買ってきていた。さっそく2日目からチャレンジしたが、最初のステップのページを開いたところいきなり30種類のトレーニングを要求されて即座に萎えた。なんとか10種類だけやったけど、動きを理解するために腹より脳が疲れた。そして次の日の朝にはしっかりと風邪を引いていた。身体が脆すぎる。。。
 山は超えたけどまだ鼻が詰まる。


 女性の肌と見ればなんでも隠したくなるのがサウジ当局だが、果たしてこれは隠す必要があるのだろうか?内臓もポルノだから?ポルノじゃなくてグロだから?だってカートみたいだから?私がコートニーじゃないから?






















2011年2月8日火曜日

英語ができないとどんだけやばいのか


サウジに出張に来ると、日本にいる時よりも長く睡眠をとるのに、眠い。
時差ぼけの影響もあるかもしれないけど、二ヶ月もいた前回もそうだったので、多分日本で仕事するよりも疲れるんだと思う。

今こっちでやってることは会計監査の対応で、実はやった事が無い業務なので、日本でやっても疲れるんだろうけど、不慣れな土地でやってるからなおさら。
特に、何度も何度も書いてるからアレなんだけど、やっぱり英語が問題なのだと思う。
普通の議事録や連絡のメールなんかでも日本語で書く場合の1.5倍位の時間がかかる。
僕の英語の情報処理能力は多分日本語の半分以下なんだろうけど、英語で書いたり話したりするときはアウトプットする分量を絞らざるを得ないので、時間は2倍にはならないんだなー。頭の負荷は高いけど。
そういう意味では要点だけ掻い摘もうという努力にフォーカスが行くのは、外国語を使う利点かもなあ。日本語だと書きすぎちゃうから。


それはさておき、英語ができないとどんだけやばいのか、やはり英語で仕事をすると身につまされてくるので、自分を叱咤するために感じたことをメモしたい。
前の出張時もどこかで似たようなことを書いたけど気にしない。



◆まず、採用されない
サウジでの勤め先では既に8人のサウジ人を雇っているけれども、本社に置いている人員は、最低限、業務連絡くらいは英語で会話ができることを面接で確認して選んでいる。
これは当たり前で、日本人でビジネスレベルのアラビア語ができる人なんでほとんどいないのだから、少なくとも社内にはいないのだから、部下と意思疎通ができるためには部下が英語ができることが必要だ。日本語がペラペラなサウジ人も一人雇っているのだけど、彼は例外。
これと同じことが日本で起こらないなんて、誰が言えるのだろうか?
完全外資の企業であれば当たり前だろうけど、部分外資であっても、ホワイトカラーであれば自分が身を置くレポートラインに一人でも非日本語話者がいれば報告は英語で流さざるを得ない。
だから会社は、それが出来無そうな人は採用しない。
純日本企業であっても、事業を海外展開している場合、ホワイトカラーであれば英語が必須になるのは自明だし。楽天とかユニクロとかソフトバンクの例のように。
よく、「英語が出来ても仕事ができなきゃしょうがない」と言う人がいて、その文言自体は間違いじゃないけど、英語でビジネスする環境では英語ができないと仕事にならない。「英語が出来ることに付加価値はない」ということは「英語ができなくてもよい」ということは違う。それらを取り違えないようにしないと困る。


◆低い階層の職に採用されるかもしれないけど、昇進できない
サウジの工場では作業員を雇う。彼らには英語が出来るかどうかは不問で、人材派遣会社に人選を任せる。まあ、話せるに越したことはないけど。というのも、幹部やスタッフ(製造・技術・事務含む)が彼らに直接指示を出すことはないから。
逆に考えると、現業職であっても、スタッフ以上の人員と直接やり取りするクラス(現場の一工程の1シフトの長相当)には英語でのコミニュケーション能力が要求されるということなんだなー。
とすれば、英語ができない場合、上の作業員から指示されたことのみを黙々とやる単純労働からは抜け出せないことになる。技能の問題ではなく英語の問題で。
ただ、インド人は底辺の人でも流暢に英語話すんだよねー。僕は聞き取れないんだけど。

あと、オフィス仕事で言うと、ある程度英語での会話で意思疎通ができれば、読み書きが怪しくても事務作業員にはなれる。
でも、読み書きが怪しいと、スタッフ(ホワイトカラー、総合職)にはなれないんじゃないだろうか。
話してると特に英語に不自由な感じはしないけど書かせると全然意味が分からない英文を書く人というのもいて、単純な連絡事項のメールくらいならいいけど議事録とかはきつい。多分彼らは学校での規範的教育ではなくいきなり仕事上の実践で英語を学んだんだろうなあ。なんでA4×2枚の報告書に5個くらいしかピリオドがないんだろう?
経営者への報告は通常文書でするので、書けないと一定以上の階層の職員にはできないと思う。


◆結論:
日本経済がもっとグローバル化したら、普通の民間企業では、英語ができないとホワイトカラーにはなれない。もしくは、なれる可能性がとても低くなる。



2011年1月16日日曜日

新卒就職難のこと


昨日、大田出版の藤岡さんとかがみさんと呑んで、就活のことなど話した。
自分が苦労したこともあり、前々から新卒就職難の構造については自分の考えをまとめておきたいと思っていたので、思ったことを書き出してみた。
現在手元にない昔読んだ本の記憶の断片を拾って書くので、間違いがあっても勘弁してください。

脳内参考文献は、竹内洋、天野郁夫、山田昌弘、苅谷剛彦、中西新太郎、佐藤俊樹、あたりの本(頻度高い順)です。多分。

えらく長くなってしまったので、要約:

大学(学制)と新卒一括採用の風習は130年前の前近代社会日本で生まれた。
当時の大学の役割は「前近代社会へ近代人を送り出すこと」だった。
50年前には、日本社会が全面的に近代化したが、大学ひいては教育制度全体が根本的に変わることはなかった。
つまり今の教育制度も新卒一括採用も、50年前にはとっくに社会・経済システムと不適合となっている。新卒扱いを3年延ばすとか、小手先の風習の改変は無意味。


以下、本文。


◆新卒一括採用は前近代社会の日本で始まった(明治年間)

日本の大学(東京帝国大学)が官僚養成機関として作られたというのは周知のことだけど、もう少し視点を広げて言えば、大学は「前近代社会である日本社会に近代人を送り出す」機関だった。
明治の頃の日本にあった近代産業セクターというのは、官僚と軍人と学校教員、つまり官業の人間がほとんどで、民間では銀行員と商社マンくらい?でとても小さかった。
官の人間の選抜は、学科試験にほぼ全てを拠っていて、当時は東大を卒業すれば無試験で官僚に任官された(もっと遡ると旧制高校を出れば無試験で東大へ入れた)。なので、その世界では新卒即官僚は当たり前の風習だった。
そして、民間セクターの中でも官に近いところで仕事をしてた銀行みたいな奴らが真似をして大卒新卒採用を始め、その後民間近代セクターが広がるに連れてその風習も広がっていった。
前近代セクター(農工商)では、相変わらず世襲と徒弟制度で労働力を再生産していたので、学制の意味や利用価値が理解されてなかった。
だから最初期に学制を利用したのは四民平等で失業状態になった士族が多かった。

※ちなみに、ここで言う「近代人」というのは、高度のリテラシーを持った人というくらいの意味です。大卒=エリートだった時代の大卒者は、高度な日本語+数学+英語+欧州の外国語もう一つ、くらいは当たり前のようにできたみたいですよ。


◆日本社会が近代化して新卒一括採用は社会と適合しなくなった(昭和40年代)

明治以降日本社会は近代化して行き、ポーンと年代を飛ばして昭和40年(1965)頃、もうほぼ社会全体が近代化していた。
高度成長期は昭和30年(1955)から始まったし、教育面では1971年にはもう中卒者よりも大卒者の方が多い状況になっていた。
大学の数は増えた(最初は公的地位が全く与えられていなかった私立大学なんかも学位授与機関として認められるようになった)し、どの時点か忘れたけれども官僚の任官制度も当然帝国大学以外の大学卒業者にも開かれたものになった。
つまり、日本社会が近代化して、東京帝国大学設立時点の「前近代社会に近代人を送り出す」という大学の役割は終わってしまったし、それが支えた新卒採用という制度も意味を失ってしまった。
はずだった。
けれども、大学の教育システムはほとんど変わらなかったし、新卒採用の風習も変わらなかった。
というのも、日本経済が右肩上がりで成長していたので、近代的産業の労働力需要がどんどん増えており、学制が吐き出す労働力は、そのジョブマッチングシステムが多少時代錯誤になっていようが産業がゴンゴン吸収していたために、マッチングシステムの不具合が全く表面化せず、問題と認識されなかったのだった。
昨今の就職難の問題に対して「大卒が多すぎる」という指摘があるのだけど、大卒どころか高卒だって、もう昭和40年代にはダブついていたと考えて良いのだと言える。もし、大学が果たす社会的機能が「前近代社会に近代人を送り出す」というものであるのならば。


◆新卒一括採用のジョブマッチングシステムがおかしいことが表面化した(昭和48年・第一次オイルショック)

水面下でジョブマッチングシステムが腐っていたものの、高度成長期にはそれは全く認識されなかった。
それが認識されるようになったのは、高度成長期の終わり、つまり第一次オイルショックのとき。
企業はこれ以降新卒一括大量採用を絞り、就職難が生じることで、このシステムが機能不全に陥っていることが明らかとなった。
はずだった。
けれども、この時、就職難が主に高卒に起こったからなのか何なのか(ちょろっと探したけど大卒・高卒の求人倍率などの数字が見つからなかった)、社会的に問題になったのはジョブマッチングではなく進路の振り分けの方で、大学進学競争が激化することになり、偏差値教育が大々的に非難される事となった。
大学のあり方や新卒一括採用の慣行は改められることはなかった。
ただし、昭和40年より前は
中卒=下級ブルーカラー(非熟練工)、高卒=上級ブルーカラー(熟練工)&下級ホワイトカラー(単純事務、ノンキャリ)、大卒=上級ホワイトカラー(企業幹部候補、キャリア)
というように学歴が階級を生産していたのが、
中卒=ほとんどいない、高卒=下級上級ブルーカラー&下級ホワイトカラー、大卒=下級上級ホワイトカラー
というように学歴が階級を生産しなくなり、エリートだったはずの大卒も普通の人になってしまった。
高度成長期以前は俸給生活者=サラリーマンはエリートだったのが、社会全体が近代化してブルーカラーまで新卒一括採用されることとなり、みんながサラリーマンになってしまっていたのだった。


◆同じ事の繰り返し(第一次オイルショック~リーマンショック)

高度成長期終了後に起こってきた就職難の構図は基本的にはずっと同じで、
第一次・二次オイルショック、バブル崩壊、リーマンショック、という不況の度に…
 1.新卒一括採用の風習が社会・経済システムに適合してない
 2.なので不況になると新卒無業者and非正規労働者が大量発生
 3.かといって、学生も企業もこの風習をやめることもできない
 4.なので、学生は学歴(学校暦)競争を頑張り、学生の親の世代は偏差値教育・学歴社会を批判する
こういったことを繰り返してきて、特にバブル崩壊後は2007~2009年の一時期を除いてずっと新卒内定率は低いままで、根本的な問題である教育システムと経済システムの接続は何も改善してない。


◆労働市場はグローバル競争になった(最近)

というわけで、日本で起きてきた新卒の就業システムの問題の構図はもう50年変わってない。
ただ、ここ2~3年くらい?5年くらい?10年くらい?で社会・経済のほうは新しい局面に入ったらしい。
昭和30年代に日本に起こったことが他のアジア地域でも起こっているために、近代人の間の競争がもう日本の枠のなかで収まらなくなってしまった。
日本で近代人が特段エリートでなくなりありふれた労働力になっていったように、アジアでも高等・中等教育を受けた人たちが増え、彼らの出先となる労働市場がエリート的仕事だけではなくなってしまった。エリートというのは基本的にその国の中に留まる方が得られる利得(必ずしも経済的利得ではない)が大きいので留まるけれども、そうでない者は特段その国の労働市場に留まらなければならない理由はない。特に途上国では、より経済発展の進んだ国(アジアなら特に日本)の労働市場で働くことには経済的インセンティブがある。また、日本経済が縮小し、日本企業であっても海外ビジネスの方が大きくなってきてしまったので、日本企業の方にも日本の学生を採用しなければならない理由が薄くなってきてしまった。
これまで日本の中の学歴(学校暦)・労働市場で競争をしていた学生たちが、アジア全体の学生と競争をしなければならなくなってしまった。
したがって、直近の就職難はもはや、新卒一括採用すなわり教育システムと経済システムの接続の不具合のような日本の国内的なものとは違う次元の経済原理が働いての事象になってしまっている。


◆新卒一括採用の風習はもはや問題ではない

新卒一括採用の風習は間違っているという批判は当たっていると僕は思う。もうこの風習には何の合理性もない。50年前から!
けれども、もうそれを改善するだけでは新卒の就職難は大きくは変わらない。卒業後3年間を新卒扱いにしても、解雇規制を緩めて人材の流動性を高めることをしても、改善の見込みはとても少ないように思う。
大学(というか学制そのもの)が果たす社会的機能が「(前近代社会に)近代人を送り出す」というものから改革されない限りは、日本が生み出す労働力は「前近代社会では価値がある」という次元に留まるのであって、アジア全体で見ても大して付加価値がない普通の人でしかないわけで、そうである限り、日本の新卒者の就職難はずっと続く。
教育システムがだめだったとしても、個人の努力で世界的人材になる人はもちろんいるけど、「日本の労働者は優れている」という状況にはならない。


※新卒一括採用の問題は、中国や韓国にもあるはず。経済の拡大が止まるか緩まると顕在化する。いや、もう顕在化してるか。
 欧米で同様のことが起こらないのは、大学が官僚育成機関ではなく、近代化以前からある研究者・知識人コミュニティであって、必要あるときや本人が学びたいとき随時加入するものであるからだと思う。欧米の新卒採用の慣行がどうなってるのかは知らないけど。ただ、中国も韓国も欧米も、日本のような解雇規制はないはずで、雇用の流動性は日本より高くて、新卒採用から漏れることが日本ほど深刻なことにならないのかもしれない。

2010年11月15日月曜日

アブドゥル祭り

◆サウジネタ

サウジアラビアがメッカ・メディナの二大聖地を要するイスラム教国家であることは周知の事実だけれども、国民のなんと100%がムスリムであるという。
投票しないものを反革命分子として逮捕して選挙権を剥奪することにより、北朝鮮の最高人民会議代議員選挙の投票率はほぼ100%らしいのだが、100%というのはそういった類の数字であって、実態としてはありえず、何がしか操作されてないと出てこない数字だと思う。けれども、それはそれとして会ったサウジ人は確かに全員ムスリムだった。

ところで、ムスリムには、それらしき名前がある。ムハンマド(モハメド)って人は本当にたくさんいるし、他にも預言者系の名前、イブラヒーム(=アブラハム)とかイスマイール(サムエル)とかもたくさんいる。
ただ、僕が式典のゲストの招待などをして実際に見た名前では、アブドゥルなんとかがめちゃくちゃ多かった。混乱した。
ジョジョの第三部に「モハメド・アブドゥル」という名前のエジプト出身なのに螺髪の占い師がいたが、あれはステレオタイプなアラブ人ムスリムの名前なわけだ(後述するように間違いがあるけれども)。

手元にあるアブドゥルなんとかさんの名前をリストアップしてみた。

Abdulrahman アブドゥルラフマン
Abdulkarim アブドゥルカリーム
Abdulwahab アブドゥルワッハーブ
Abduladhim アブドゥラヒム
Abdullatif アブドゥラティフ
Abdulrazzak アブドゥルラザック
Abdulhamid アブドゥルハミッド
Abdullah アブドッラー
Abdulmajeed アブドゥルマジード
Abdel Aziz アブドゥルアジーズ
Abd al-Aziz アブドゥルアジーズ
Abdul-azeez アブドゥルアジーズ

アラブ人には日本と同じ意味での姓というものはなく、通常「自分の名前+親父(or家名)の名前」、という構成になっている。
これらは全部最初に来ることもできるし、後に来ることもできる。
例えば「Abdullah Abdel Aziz(アブドッラー・アブドゥルアジーズ)」あるいはその逆というように。
「のいるこいる」でも「こいるのいる」でも「阪神巨人」でも「巨人阪神」でも良い、というわけだ。まあほんとにどうでもいいけど。
だからアラブ人の名前はややこしい。初めて「松尾スズキ」という名前を見たときくらいのややこしさ。
そして、上記の3つの「アブドゥルアジーズ」のように、英語の異字表記がいっぱいあるからなんともはや。。。
まあ、ガイジンからしたら漢字で書いた日本人の名前をどう読むかの方が難しいんだろうけど。日本人にとっても難しいもんなー。

ちなみにこの「Abdul」というのは「Abd Al-XXX」(servant of the XXX)の略式表記らしい。
だからアブドゥルなんとかさんっていう人はみんな何かの下僕という意味になる。
そしてAl-XXXの部分、例えばAbdulrahmanなら「Al-rahman」(servant of the Merciful)は、「ザ・慈悲深い者」という意味なのだけど、これはアッラーの別名の一つなので、意味としては「神の僕」ということになる。他のアブドゥルも一緒で、意味は全部「神の僕」。「Abdullah」なんかはまさに「アッラーの僕」という名前。
アッラーは99の名を持つらしいので、多分99のアブドゥルなんとかという名があるのだと思う。
どうでもいいけど、二つ名どころか99の名を持つとか、アッラーさんの中二力はハンパない。。。


というわけで、ジョジョのアブドゥルはステレオタイプなムスリム風の名前なのだけど、「Abd Al-XXX」のXXX部分が欠けているので、実際にはムスリムの名前としては機能しないんだ。多分。

ついでに上記に挙げた名前の意味を調べてみた。

Abdulrahman 慈悲ある者の僕 (the merciful)
Abdulkarim 高貴なる者の僕 (The Most Generous)
Abdulwahab 与える者の僕 (the giver)
Abdulrazzak 与える者の僕 (the all-provider)
Abduladhim もっとも偉大なる者の僕 (the most great)
Abdullatif 情け深い者の僕 (the kind)
Abdulhamid 賛美される者の僕 (the prised)
Abdullah アッラーの僕 (the allah)
Abdulmajeed 栄誉ある者の僕 (the Glorious)
Abdel Aziz 力ある者の僕 (the powerful)

どれか一つ、僕の二つ名に欲しい。

参考:
JETRO「アラブ人名の由来と正しい読み方」
http://www.jetro.go.jp/world/middle_east/sa/others/pdf/name.pdf





2010年11月14日日曜日

趣味は偶像破壊です


◆日記

先週の失態があり、今週はずっと凹んでいた。
mixi日記で凹み具合を文章化したところ、4人からコメントがあったうちの3人からそれぞれ、仏教・イスラム教・道教をオススメされてしまう始末。

オーケー分かった、せっかくだから俺は幸福の科学を選ぶぜ!(エンターテイメントを重視)

嘘だけど。

あと、入社後3年経ったということで、全社向けにこれまでの業務の成果報告のようなものをすることになった。僕だけじゃなくて同期全員ね。
これまで暖めて暖めて、我慢して我慢して、ちょろっとこぼしてみたり、熱が冷めてしまったりしつつ練り上げてきた、勤め先の標準原価計算システム批判+改善案を、ついに全社に広めるチャンスがやってきた!!

最初は現在の業務(海外事業の立ち上げ支援)を重視して、海外事業の概要紹介をしようとして一昨日部内発表したら、部長から「こんなの幹部はみんな知ってるんだし、全然君の魂が入ってないから、全部やり直しね」と言われてしまった。
確かにそうだ。別にそんなことは好んで報告したいことではない。パンク魂をすっかり忘れてしまっていたようだ。
部長なんていうサラリーマンをやりきったようなポジションの人からファッションパンクと呼ばれるようでは、パンク学部助教授としてのメンツが立たないではないか。
ここは一発、既存の観念をぶち壊してやろうじゃないか!

そう思い直してガシガシとエクセルとパワポをいじっていたら、昨日のうちにほとんど出来てしまった。たった一日で。前の奴は一週間かかったのに。
やっぱり自分が本当にやりたいことをやってるときは集中力が違うな。
というか、これまで当然と思って自分たちが運用していた判断基準を思いっきり否定される幹部の反応を想像すると楽しくて仕方がないのだった。
自分の中に伝えたいことがあるのではなく、人が大切にしてきたものとかがんばって取り組んでいることとかに横槍を入れてブチ壊しにするのが好きなんだな、僕は。フヒヒ


まじめな話、最近自分になんのポリシーも特技も専門性もないことについて悩んで鬱々としていたけども、何か当たり前とされていることについて疑義を呈する、というのが僕のやりたいことで得意なことで好きなことなのかもしれないなあ。
これまでやってきたことを考えるに。




2010年11月8日月曜日

めんどくさい+黒塗り


◆日記

僕は何事も徹底せず中途半端にする性分で、取り掛かりも遅く、事前に必要条件を見極めていないため、取り掛かった後も作業は難航しがちだ。
それでいつもいろいろなことがギリギリになり、遅延やミスが生じたりする。
何度も何度も公私共にそういうことがあって、その度に激しく自己嫌悪しているのだけど、全然治ってない。
こういうのを悪習慣っていうんだろうなあ。
たった今だって、ファスト・プライオリティーを置くべきタスクは寝ることなのにこんな文書いてるしなあ。

この習慣を何とかしない限り、いくら勝間和代を読んだってドラッカーを読んだって架神恭介を読んだって、立派な社会人にもテクノロジストにもリアルパンクロッカーにも禅僧にもなれないし年収も10倍にならないぜ!
まあ実はそれらは比較的どうでもいいのだけど、りっぱな社会人にもパンクロッカーにもなれないということは、モテないということであって、それは問題だ。

先日も女の子の誕生日を聞き忘れていて、誕生日周辺にサシで呑む機会があったのにお祝いできなかった。…ことにあとから気づいた。最悪。死にたい。

なんとかしたい。何から始めればいいんだろう?
ドラッカーによれば(『経営者の条件』)、あらゆる事において常に時間こそが最大の制約条件であって、時間を管理できないものは何も管理できないのだとか。
……うん、それはよく分かる。

そして時間を管理する第一歩は時間の使い方の記録を付けることだという。
……うわあ、それ、すごくめんどくさいなりぃ。。。拙者には無理なりぃ。。。


◆今日のサウジ出張報告テーマ:黒塗り

何が載ってたのが全く分からない。なぜだか、ぼやけた黒い塊を見ているとジワジワと恐怖感が湧いてくる。

これ、お姉さんが着てるのはノンスリーブ+短パンタイプのセパレート水着ですから。全身タイツじゃないですから。
塗り絵、綺麗にできたね!よしよし。


一転してこれは雑だねえ。それはもう塗らなくてもいいよね。上のは塗ってないしね。

これは塗ろうよ。



サウジアラビアでは、生身の女性が肌を隠すのと同様に、2次元の女性も肌を隠すことになっている。なので、海外、特に欧米から輸入した製品に肌を顕にした女性がプリントされている場合は黒く塗りつぶす事になっているようだ。
だけど、全部が全部塗られているわけじゃなくて、写真にもある通り塗られていないものもある。
正直なところやってらんないんだろうねえ。
多分これ小売店の人が作業するんだと思うんだ。お店によって徹底度が違うから。
それで人間が手作業で塗るんだからコストが掛かるわけですよ。
商品によってはお店の粗利なんてホント微々たるものってものもあるわけで、全部が全部丁寧になんてやってらんないよねえ。
かといって一番上の写真みたいにスプレーでバーっとやっちゃうとパッケージが消費者に訴える力がなくなっちゃうし。
難しい。大変だ。面倒だ。

Pink!なんかの洋楽CDも塗られてたけど、中のブックレットじゃなくてプラケースが塗られてただけだから、ケースから出したら肌が顕になっちゃう仕様だった。
隠したいのか隠したくないのかよく分からない。公になってなければいいのか?
(そのCD実物を買って持ってきたのだけど、見つからない。物が管理できてないのだ!)








2010年10月30日土曜日

顔がない

8月28日から10月21日まで、某砂漠と石油とイスラムの王国へ出張してきた。
まあいかんせん仕事目的だったし、かなり忙しくて観光する余裕もなかったのだけど、日本人一般にとっては距離ではなく心理・文化的にかなり遠い世界で、何を書いても珍しい話になると思うので、見聞きしてきたことについて紹介しようと思う。

ちなみに、某砂漠と石油とイスラムの王国に限らず、中東諸国は一部を除いて写真を撮ることに対して一般的に好意的でなく、場合によっては警察(or宗教警察)に注意を受けるような場合もあるらしい。これは『地球の歩き方』にも書いてあったので、事実と考えて間違いない。

であるからしてですね、僕は彼の国では一切写真など撮ってません。
以後僕が彼の王国についての記事にて掲載するだろう写真・画像は、飽くまでイメージであって、僕がどこかから電子的に拾ってきたものである、と、そういう理解でお願いします!


今日のテーマ:顔がない

ショッピングセンターにて。ポスターのモデルの顔がない。
やはり顔がない。それにしても、日本人男性の性か、ボカシで消されるとなんだか卑猥なもののような気がしてくる。

イスラム圏では、一般的に女性が髪やボディーラインを顕にするということは忌避されているのだけど、この国では女性はムスリマ(女性イスラム教徒)であるか否かに関わらずアバヤと呼ばれる民族衣装を頭からすっぽり被って顔を隠すことが法律で義務付けられている、、、らしい。その条文そのものは読んだこと無いけど。
私見ではこれはイスラムじゃなくてアラビア半島の民族文化だと思うのだけど、この国の人はこれをイスラム教の戒律だと思ってる人が多いので、そういうことにしておこう。
じゃあ人間の顔が入ってないイメージ写真を使えばいいじゃんと思うのだけど、ファッション小売のお店だとそうも行かないんだろうなあ。
人間の顔じゃなければいいかというとそうでもなくて、写真を見て気づく人もいるかも知れないけど、マネキンの首もない。これらの店だけではなく、どの店でも、マネキンの首から上は無かった。
写真はないけどスポーツショップのディスプレイの男性モデルの顔もボカされていたので、ディスプレイに関しては女性だからどうこうというわけではないのかもしれない。

でもTVでは俳優・女優が普通に顔を出しているんだよなあ。それはいいんだろうか?
もしかして美の表現として人間の顔を表示するのがいけないのだろうか?つまり、モデルの顔っていうのがいけないのだろうか?
自主規制で?法律で?

まあ理由はよく分からないが、とにかく、この国では人間の顔を服屋のディスプレイに表示してはいけないのだ。


本文とはあまり関係の無いリンク:






2009年12月21日月曜日

【12/21】みかんはなぜかあるだけ食えてしまう

◆日記
先日、教祖マニュアルの件で、月刊誌の『サイゾー』からインタビューを受け、見本誌が先週届いた。
とりあえず先週はあんまり時間が取れなかったので自分が載ってるとこだけしか読んでなかったけど、チラチラ他のところを読んでみると結構面白い。avexって、なんとなく嫌いだったけど偉大な企業だったんだなあ。…「なんとなく嫌い」って、宗教みたいだなw
そんで今朝、通勤中に読もうと鞄に放り込んで家を出たが、駅で取り出してみて気づいた。表紙が小向美奈子だったってことに。その辺のグラビアアイドルだったらまだいいけど、小向さんだと、あの、、、なんというか、、、ヒネりが入ってしまうじゃないですかあ。。。
僕が部屋で読む分には違和感ないが、朝の風景にはちょっと重すぎる。朝から油物を食っている人みたいに見えてしまうのではないだろうか。
というわけで、電車では表紙が人目につかないように丸めて読んでいた。僕は相変わらずファッションパンクだ。
中身について、吉田豪の記事の『球界の野良犬』の紹介文中の「(シンナーは)悩みが忘れられて最高!」のとこで笑った。さすがプロ書評家だけあって紹介されているものが全部読みたくなった。前にムツゴロウさんのインタビュー記事読んだ時も思ったけど、すげえな吉田豪って人は。一冊あたりたった数パラグラフの紹介文でも、下調べ力のハンパなさが伝わってくる。文筆でこんな人に勝てっこないので、僕はサラリーマンをします。

名古屋大学を出て実家の農家を継いだ高校の先輩からダンボール一箱分のみかんが届いたのでさっそく手をつけたところ、瞬く間に6つくらい食べてしまった。飯食った後なのに・・・
別に食おうという強い意志がなくても手が勝手に皮を剥いているというのがみかんの恐ろしいところ。なんなんだあれは。

◆favorite
ちょっと遅れてしまったけど、ソワカちゃんDVD第二巻『覚の巻』が出たことをブログに書いておきたい。僕はamazonの限定版(と言っても売り切れてないようだけど)を予約購入したので、クーやんがついてきた。
「はすのうてな」(第一話その3)は切ないロックとして単体でも聴けるけど、この並びで聴くとより切なさが先鋭化して良い。
「愛別離苦が人の定めとしても時に唐突に心は切り裂かれる」がグッと来る。
そういえばこの間カラオケで「南無666」を歌ったんだけど、ソワカちゃんの映像がない状態で男が歌うと、ぬめり川くん並みにキモイと気づいてしまって挫折した。聴きようによってはちょっと痛いアニメソングっぽくもあるし。


◆英会話
違う講師で2レッスン取って、最初のレッスンは雑談して、次のレッスンでテキストを進めた。
ちょっと最近悩みがあったが講師に相談して心が軽くなった。スキルアップにはならないけど、マンツーマン英会話はカウンセリングとしても使えるということに気づいた。英会話講師はいかなる観点から見ても僕のパーソナル・ネットワークからは完全にアウトサイダーなので、どんなセンシティブな話題でも気兼ねなく話せるからさ。
今日の表現:
I'm not out of the woods yet, but I've gotten through the worst of it.

2009年12月17日木曜日

【12/17】『完全教祖マニュアル』発売!(笑


9月
◆日記
仕事では、予算をなんとか立てた。
いろいろあった。

10月
◆日記
いろいろあった。


11月

◆宣伝
かがみさん・ravenさんとの共著『完全教祖マニュアル』が発売!(ちくま新書)
去年の4月から、この企画にむけてかがみさんたちと準備(勉強会)を始め、一年ちょっとかかって制作した作品なので、達成感はあった。あとは売れてくれればいいのさ。
公式サイト↓

発売直前のエントリ「ヒップホップで学ぶ日蓮」がホッテントリになった。なんという仏縁。

◆日記
いろいろあった。


12月~

◆日記
12/5 ちくまの担当さんにフレンチをごちそうになった。ウマー
『完全教祖マニュアル』は、そこそこ売れていなくもない感じだけど、担当さんも含めて僕らが期待していたほど売れ行きは伸びていない感じだ。
やっぱりタイトルとコンセプトがアレだから、ちょっと立ち読みしたくらいではコンテンツの良さが伝わりにくいのだろうと思う。
でも読んでみると客観的に見ても面白いと思うけどなー。まあ、読んでみればね。
それにしてもみんな(=担当+かがみ+raven)井筒俊彦好きだなあ。僕は外国語学習法の本でしかその名に出会ったことしかないのだけど、レイブンさんおすすめの『イスラーム文化』読むかー。


◆TOEIC
12/16 会社でIP受けた。なんとか時間内に全部の解答欄を塗った。…手応えあったぞ!
でも、手応えあって実際のスコアが良かったことなんてあったっけかなー?w


◆読書感想

時間は最後の一分一秒まで無駄にせず勉強に使えという話。
でもそれを実現するための大前提として、目的が定まっていることが重要だ、と。じゃなきゃ続かないよ、と。
正論だ。僕が三日坊主なのは目的が定まってないからだな。僕の勤め先の経営と一緒で、人生に中長期的ビジョンが無いぜ。

ナイスな質問集。「お母さんはどんな人?」「10年後はなにしてると思う?」「5万円あったら何に使う?」あたりの質問はとても良いと思う。
でも本人も書いてるけど、これを使う前提として自分でこれに答える準備しておかないといけないよね。話を広げたいなら。これは結構本質を突く質問だけに、自問するのもだるいぜ。

相手への貢献(コントリビューション)を第一に考えて人に会っていけば人脈が広がっていくという話。そうなんだろうねえ。よし、僕は人にコントリビュートできることなんてないから家で一人でネットをやることにするぜ!
…僕はあれなんだよねー。いろいろ中途半端で自分のプロフェッションとか軸がないので、「これなら人に貢献できるな」と思えることがない。なんなんだろうなあ。僕のしたいことは。

期せずして、三つとも「自分にビジョンが無い」という自覚に至った。

2009年9月2日水曜日

【9/1】Marilyn Manson vs 鳥居みゆき


◆日記 8/25~28
先週はだいたい月次業績の集計と調査してた。

◆日記 8/29~30
東京の白金台の式場にて高校の部活の先輩の結婚式・披露宴に参加した。応援団の型(音楽にあわせて腕をグルグル回すやつ)を余興で披露したところ、終了してすぐに足・腰・腕・肩が痛くなって食事もままならなくなった。箸を持って上げるのがつらいの。これだけ症状が早いともう筋肉痛とは言えないと思う。怪我だよ。
現役のときの僕はこんなものを断続的に2時間とか3時間とかやってたのだから信じられない。誰なんだろうアイツは。
ついでに東京観光してガンダムとか見た。

◆日記 8/31~9/1
もうすぐ9月なのでかなり憂鬱だ。
9月といえば下期の予算立案だからだ。すでにその作業に入っている。。。

ところで、最近イーモバイルがやたら圏外になる。
圏外って…ここ西宮市なのに。大都市の代名詞、日本の政治・経済・文化の中心地、西宮市だぞ。。。ここが圏外なんてありえない。
ちょっと調べたところによると、アクセスポイントごとに接続数の上限が決められていて、それを超えるアクセスがあったりすると圏外になったりするようだ。
まあ、それは仕方がない。社宅の共有光回線も良く止まる。だが、朝になっても圏外のままだったりするのはどうなんだ。5分10分ならともかく、これじゃあ回線の復帰を待つことなんて出来ないぞ。
また、特にそういうわけでもなく、障害情報もなく、工事情報もなく、圏外になったりすることもあるらしい。
ちなみに今も圏外だ。おかげでイーモバ契約したときに(\100ではなく\19800で)買ったネットブックで文章を打つ羽目になってしまった。僕のデスクトップはやたら重くてでかいので、部屋のLANを裏の方に挿すために動かすことなど、もはや不可能となっているためだ。
左手の小指がやたらcapslockを押してしまうんだ。どうにかしてくれ!
もうイーモバ解約するか。似たようなサービスたくさん出てるし。

◆ネタ
Marilyn Manson vs 鳥居みゆき


これはwwうまいw
タイトル=コンセプトだけでもかなりグッとくるけど、動画もとても良く出来てる。「this is the new shit」の鳥居みゆき違和感ねえなw
up主のコメント
「マリリンマンソンと鳥居みゆきには通じるものがあると思う。二人ともエンターテイナー。」
に同意。

◆読書感想
これはいつ買ったのか忘れたくらい前から持っていたけど、最近スループット会計という画期的(と僕は思っている)な管理会計手法に出会って、それがこの本に基づいているということでやっとこさ読んでみた。この本は超ベストセラーらしいから普通逆なんだろうな。
TOCについて、僕は変に専門的なところから入ってしまったために、若干これまでコンセプトを誤解していたところがあったっぽいが、とくにそれは釈明せずに、この本の感想を書いてみる。

この本は小説仕立てでTOC(Theory Of Constrains=制約理論)を紹介する内容。
TOCというのは、一言で言えば、
「本当に収益を拡大できる改善活動は何なのか、先入観を捨ててちゃんと捉えよう。そして本当に改善すべき点を改善して収益を増やそう」というマネジメント手法の体系のこと。
この表現では簡単すぎる気もするけれども、正しいと思う。

「収益を増やす」ってのは目新しくないけど、会社の全事業全部門において「収益を伸ばす」という一点にフォーカスして全てを判断しよう、というのはなかなか普通の企業ではできていないことだと思う。
利益を増やすからといってコスト削減活動ではないことが重要で、収益拡大には際限がないけど、コスト削減にはすぐに限界が来るから、より重要なのは収益の拡大なんだそうな。

どんな企業も市場の需要に対応するものとして存在していて、一つの企業で市場の全需要に応える能力があることが稀なので、収益を拡大することはほとんどの場合は可能なはず。
だから、もし収益が伸びないとすれば、何か社内に制約条件があることがほとんどで、その制約を発見して改善すれば、収益は伸ばせるはず。
製品の製造能力を制限しているボトルネック工程かもしれないし、製造リードタイムかもしれないし、価格設定かもしれないし、人手不足かもしれない。
でも、何か収益拡大を疎外す制約条件がある。しかも一つではないにしても、ごく限られた数の制約条件が。
TOCでは、その制約条件以外のところを改善しても無駄なので、その要因に集中して改善しよう、というわけだ。
収益の最大値を制約条件が決めるから、制約条件に注目してそれの改善を目指す。だから制約理論。

個人的に衝撃的だったのは、加工費を製品個別の原価として考えるのは間違いだという指摘。
なぜなら、加工費は工場で発生した全ての費用を製品出荷数で割ったものでしかなく(総合原価計算はその考え方に近いが、結局製品にも在庫にも加工費を配賦してしまう)、製品出荷量が増減すれば増減してしまうような性質のもので、個別の製品の純粋な変動費ではなく、言わば間接費の配賦と同じものだから。
ある種の標準原価計算を採用している僕の勤め先でも、工場の稼働日数で直接加工費は増えたり減ったりするから、確かにそんなものは製品個別に生じる固有の原価などではないといえる。
逆に、「加工費=工場のコスト/製品出荷数量」であるとすれば、
売上製品数が増えれば、一つあたりの加工費は減るということになる。そして、出荷製品数量を規定するのはボトルネック工程の製造能力だから、ボトルネック工程の製造能力が製品個別の加工費を代表していることになる。だから、工程別の加工費のことは考えず、その製品のボトルネック工程への負荷だけを考えればよいということになる。
さらに、製品一つあたりの加工費の削減も出荷数量の増加によって達成できるので、ボトルネック工程の製造能力を増やすだけで収益増と加工費削減が同時に達成できることになるのだ!(直接費が増えるような投資をしなければ)

なんてシンプルな考え方なんだろう。わかりやすく、そして筋が通っている。簡単にリーズナブルな原価を算出する道具であるはずの標準原価計算を捨てたのに、むしろ収益性の算定が簡単になってしまうとは。。。

実際の工場はボトルネックなんかが簡単には同定できないので、実際の仕事へ応用は簡単には出来そうもない。けど収益拡大を第一に考える考え方と制約条件に注目するという点は重要なので、できればTOCは社内の経営判断に持ち込みたいなあ。

◆英語
gabaテキスト音声

2009年8月24日月曜日

【8/24】原価って概念は深い


◆日記,会計
工場の偉い人に、スループット会計に基づいた採算性指標(スループット/制約条件時間)を紹介してみたが、
「で?ボトルネック工程の操業を最大にして収益の最大化を目指すのは当たり前じゃん」
との反応。
僕も、それはよくわかっている。だけど、これまで定量化できていなかったものを定量化したわけで、つまり、これまで直感で最大化しようとしていた工場の最大利益について客観的な管理や予測が可能になるのだけど、そんなことは全く既知の事という扱いだった。

…んー、どうすれば従来(直接原価計算+操業度)の思考方式に慣れた人を「おおっ?」と言わせることが出来るんだろうか。

従来の原価計算方式では、各製品それぞれが工程を通っていく毎にそこで費用を発生させ、それが各製品の原価となると考えるけれども、TOCではそうは考えない。
製品個別の原価は、ほぼ原料費のみと考える。
加工費はかなりの程度固定費であって、製品個別に発生していくわけではないと考える。
工場の総費用をボトルネック工程の操業時間で割って、ボトルネック工程一時間当たりのコストと考える。(製品の原価ではないよ)
これらの考えはかなり理にかなっていて、かつ事実に沿っていて、とても分かりやすいと思う。実際、充分に操業度が高いときは、年度通算した工場の総費用はあまり変化がない。だから、製品をたくさん作って売れば、製品一つあたりの原価は下がるような計算になる。(製品一つあたりの原価、というのがそもそも原価計算的思考法なのだけど。)
僕の説明は分かりにくいかもしれないが、TOCの考えはとても分かりやすい。

でも、従来の原価計算の思考法に慣れた人はこのTOCの考えを、分かりやすいとは思えないらしい。ボトルネック工程以外の工程の費用が個別に製品に付加されないのはおかしいと思うようだ。
まあ、それもわからんではない。目の前に機械があり、人がいて、動力を使って製品をこねくり回しておきながら、その労務費や機械の維持費や動力費が、その製品の原価ではないとはどういうことなのか。

そのあたりの認識ギャップを埋め、なおかつ制約条件時間当たりのスループットという指標が、実際に経営判断をするにあたり役に立つということを示せれば、TOC・スループット会計の利便性がわかってもらえるはずだ。


◆英語
gabaテキスト音声

2009年8月23日日曜日

【8/20~23】これってworkaholicなのかな

◆日記,会計
ここのところ、会社にいなくても、ずっと仕事のことを考えている。
前にも書いたかと思うけど、学生の頃の僕は「実学的なことはくだらない、面白くない」と考えていて、社会人になってからも「仕事人間はつまらない」と考えていたから、今の僕はとてもつまらない人間になっているということになる。。。

何を考えているかといえば、TOCの管理会計制度であるスループット会計を勤め先の管理会計へ導入する方法だ。

先の日記のまとめは、その後さらに1冊本を読んでみた僕が振り返るに、冗長かつ不十分かつ理解不十分な内容となっているので、また後日時間を作って簡潔にTOCとスループット会計のコンセプトをまとめなおそうと思うが、スループット会計が従来の原価計算とは全く異なったものであり、企業の生産性(稼ぎ)を向上させるためにかなり強力な武器になることは間違いないと確信している。
勤め先の実際の売上&原価&製造工程DATAを使って、スループット会計を用いた製品の採算性検討をしてみたところ、これまでの直接原価計算による採算性指標とは全く異なった結果が出てきた。

会社の経営に関わることなので詳細は書けないが、一般的な話に置き換えて書くと、簿記の直接原価計算でいう売上総利益(売上-原料費-労務費-経費)とスループット(売上-原料費)は、要するに労務費と経費の差があるだけで、売上に対するその比率とかを求めたところで、従来の採算性とはあまり差がない。
しかし!スループット会計で言う採算性、つまりCCR(能力制約資源)の稼働時間でスループットを割った数字を持ち出したところで、全く世界が変わる。
製品別採算性順位は、売上高総利益率によるものとスループット/CCR時間によるもので全く違うばかりか、その生産性の高さの差異が全く逆転してしまったような製品もあった。

例えば適当な数字だけど、
製品A: 売上高総利益率 50% スループット/CCR 30
製品B: 売上高総利益率 20% スループット/CCR 60
というような。

そうすると、一定期間Aを作って売り続けたときとBのときでは、稼げる付加価値が2倍違い、しかもBの方が高いという結果になる。売上高総利益率はもちろんAのみを作り続けた時の方が高い。でも、利益額が全然変わるのだ。
しかも、上記をもとに売値を考えると、Bにはまだ値下げ余力があることが分かる。Bの売値を下げて売上高総利益率をさらに下げたとしても、まだまだAよりも稼げるということがわかる。
やばい。これはやばい。革命的過ぎる。
これまでの採算性検討は一体なんだったんだ。
売上高総利益率は、売上高間接費率+利益率以上なければダメ(赤字扱い)じゃなかったのか!?

これはなんとしても僕が担当している事業部幹部にこの指標を取り入れてもらわねばならない。これ、うまく行ったら数億円とかのオーダーで事業部の業績を上げられる可能性があるような…
問題は、どうやって偉い人たちにこの新しい指標を受け容れてもらうかだ。これまでとは根本的に異なる評価基準を導入しろというわけだから、絶対抵抗があるはず。まず僕の上司をオルグするところからスタートだな。

そんなこんなで、ここ数日、オフの時間はTOCの本を買ったり読んだりしていた。
全然オフになってないけど。

◆買った本

◆英会話
土曜に1レッスンだけ受けた。
今回の収穫↓
相手のオファーを丁重にお断りするときの表現は「丁寧な導入+直截な断り」。
スタートを丁寧にすれば、直截な断りの文句を接いでも失礼な物言いとは受け取られないとか。
例:
I wish I could however I have to do XXX, so I can't.
I appreciate the offer but I don't want to.

◆英語
gaba1レッスン
gabaテキスト音声

2009年8月20日木曜日

【8/13~19】よいこの君主論、重版!


もう日付とかどうでもよいのかもしれない…

◆よいこの君主論

それはそうと、『よいこの君主論』が重版との連絡が入りました。
重版ですよ!重版!
パンクマニュアル以来!文庫だけに部数も多いらしい!
すごく嬉しい!

どれくらい嬉しいかって言うと、『よいこの君主論』が出版された時と同じかそれ以上!
だって、需要がなくても本を市場に放り出すことは出来るけど、売れない=需要がなければ重版されないわけでしょう。
つまり、この本には初版部数以上の需要があるってこと=魅力があるってことが、今回重版されて初めて証明されたってことになるんですよ。
出版そのものは編集者の個人的暴走でもできることがあるかもしれないけど、重版は消費者の集合知による判断であるわけで、より客観的で一般的に価値が認められてるってことなんですよ。
だから、ある意味で重版にはその本が出版されること以上に価値がある、嬉しいことなんですよ!!

ま、名誉的なことは置いといて、不労所得も入るしね~

この重版を受けて『よいこの君主論』がもっと売れますように。
売れて売れて売れまくり、ブラジルの熱帯雨林の木々を全て伐採してパルプにしても紙が足りなくなり、世界的紙不足から経済活動が停滞して世界恐慌へ陥ったところでやっと売れ行きが鈍化するような状態になりますように。

◆お盆休みの日記
13日 熊本より、兵庫へ帰る
14日 兵庫より、静岡へ帰る
15日 静岡にて、寝込む
16日 静岡にて、友人と昼食。生まれて初めてうなぎの白焼きを食べる。ウマー。兵庫へ帰る。

実家に行くと寝込みがち。
いつも悪寒と頭痛と吐き気という同じ症状。
前にかがみさんの実家に行ったときも同様の症状で寝込んだw
疲れてるとそうなるのかも。

◆TOEIC
7/26に受験したTOEICの結果が、ネット上で通知された。早いな。
受験直前にDSの実力診断でたたき出した870の予想値には遠く及ばなかったものの、過去最高のスコア795をマーク。
その前が650だったから145も上がってるよ。毎回これだけブレがあるとTOEICスコアを実力チェックに使えないじゃないか。でも天井が上がってきたって事は、多分実力も上がってるんだろうね。そう解釈しておきたい。
特にリスニングは英会話の効力!だと思いたい。

◆トレーニング
8/19、丸二週間のブランクを経て復帰。1時間ちょっとトレーニングした。
今日はバイクテストという、負荷を上げながらバイクを漕いで心拍数を測る体力診断をやってみたが、7段階中6のランクの体力と診断されてしまった。前回は5だった。
身体能力や体力が優れていると判断されたことなんて僕の学生生活中一度もなかったのに、おかしいよね。
どうも、心肺機能だけは優れているらしい。でも、持久走とかも後ろの方だったけどなあ。。。

◆英会話
しばらく行っていなかったため、学校から電話が掛かってきた。15時過ぎくらいに。
普通に仕事中だよ。
まあ、アラートを鳴らしてくれることはありがたい。今週末はダブルレッスンやるぞ。

◆会計
僕の上司の上司(部長)と会議する機会があったので、簡単なプレゼン資料を作ってTOC&スループット会計を勤め先の管理会計に導入してみることを提案してみた。
具体的な管理会計資料の試作品などがなかったので、部長は何がどう変わるのかあまりイメージできなかった模様。
実際の会社の経理データを使った管理損益資料の試作とかって、結構大変なんだよね。
休み明けでスケジュールが押し押し状態だから今は作業できないな…
かといって9月に入ったら予算立案の業務で忙しくなってしまうが…

◆英語
17日以降、gabaテキスト音声40分/日

2009年8月12日水曜日

【8/9~12】スループット会計


僕の出生地水俣にいます。
親戚宅の回線を借りて更新。

ここ数日は、ヒラメを食ったり、アワビを食ったり、肉を食ったり、桃を食ったり、寝たり、起きたり、していた。(家にTVがないので最近の芸人とかわかりません)

◆静岡地震
mixiの方に書いたけど、僕はまだ静岡に帰省していなかったので全く無事でした。
朝五時過ぎに友人からの安否確認メールがあって起きたけど、僕は地震があったことすらしらなんだ。
ニュースを見る限り、あまり家屋の倒壊といった致死性の事故は起きていないようだから一安心。
これ、予想されていた東海地震そのものでも東海地震に繋がるものでもなんでもないということだけど、東海地震は一体いつ来るんだろうか?かれこれもう30年は「いつきてもおかしくない」と言われているのだけど。今回のが東海地震であって欲しかったよ。不安が一つ解消されるから。知ってる範囲でも地震が来るまでは家を買わないとかいう人もいるんで、東海地震予想は確実に静岡人の心理に影響を与えてるんだ。
まあ地学の世界では30年どころか100年だって余裕で誤差の範囲なんだろうけどさ。


◆買った本
書くの忘れてたけど、8日に買ったもの。



◆読書感想,会計


TOC関連本2冊。以下に要約を含む感想を作ってみたけど、財務or管理会計に関わる人以外には意味不明かもしれない。


◇TOCとは?
TOCというのは、Theory of Constrainsの略で、日本語で「制約理論」と呼ばれる、企業のパフォーマンス向上のための理論。ベストセラーとなった『ザ・ゴール』で物理学者エリヤフ・ゴールドラットが提唱したもの。

『コスト~』はTOCの重要な評価基準であるスループット会計についての入門書。
『制約理論~』はTOCの全体の図解概説書。

TOC自体は工場の製造工程の改善にも適用できる理論だけど、僕は会計に近いほうの人間なのでそっちに興味を持って読んだ。『ザ・ゴール』は未読なんだけど。


◇集中の五段階
TOCのキー概念は「集中の五段階」というもので
 1.システムの制約条件(ボトルネック)を見つける
 2.制約条件を徹底活用する
 3.制約条件以外の全てを制約条件に従属させる
 4.制約条件の能力を高める
 5.制約条件が解消されたら、惰性を避けて1に戻る
というプロセスにて、継続的にシステムのパフォーマンス工場を行うというもの。
「制約条件内で最高のアウトプットを達成し→制約条件を引き上げ→新しい条件を発見し→以下無限ループ」という感じ。

僕が思うに、3が非常に重要で、かつ他の改善活動の常識と反する、革新的箇所だと思う。制約条件がシステム全体のアウトプットを規定するのだから、他の条件を改善する活動は、当面は無駄と言うことだ。これはとても合理的だ。
僕の勤め先でも、全工程で工程別に改善の評価をしているのだけれども、あれが無駄だといったら、工場の人はどう思うんだろうか…

あらゆる継続的プロセスには評価が必要だけど、TOCではスループット会計という収益性評価方法を使用し、改善が実際に進んでいるのかどうかを判断する。


◇スループットとは?
スループットというのは、売上から外部購入費を引いた残りのことで、売上に連動して外部に流出する分を除いて自社内に取り込める分のことを指している。『コスト~』でも指摘されてたけど、会計用語の付加価値とほぼ同じ。簿記で言うと貢献利益とほぼ同じ。なのでスループットは、業務遂行上生じる経費≒固定費を賄う原資を指している。その固定費はスループット会計で「作業経費」といわれる。スループット会計では、実際の稼ぎと言えるスループットを重視して、その増減で会社の収益性を測る。
スループットは
 スループット=収益-外部購入費
だから、純利益は
 純利益=スループット-作業経費
となる。

外部購入費というのは、自社資産の活用によるものではなくて外部から調達するものにかかる費用のこと。直接人件費(労務費)以外の直接費は大体外部から購入してくるものだとすると、
 外部購入費=原料費+外注費+販売直接費
が外部購入費に近似する。近似するけど、例えばもし自社の配送ルートを持っていたなら、それは販売直接費だけど外部購入費には入らない(はず)、などの例外がある。それぞれの企業や事業によって。

それと、スループット会計では在庫の増減による影響を受けないよう、修正する。在庫の増減で利益が増減すると、ある程度そこで数値の操作が出来かねないし、営業活動と違うところで利益が動くのも実力が反映できていないということだと思うので、在庫の影響は排除できたほうが公正だと思う。



























◇スループット会計のメリット
このスループットが分かると何が良いかというと、ある製品や案件を受注する価値があるかどうかが正しく判定できるようになる。
それに、利益を出すためにコントロールすべき対象も明確になる。

財務会計(財務諸表を作成するための会計方法)では、それはできない。
財務会計上の売上原価には、直接・間接人件費や減価償却費などの固定費も含めるので、そのうちいくらが変動費なのか分からない。
もし、受注が増えても固定費が一切増えないとしたら、収益が変動費を超える案件の受注は、実際には会社に利益をもたらす。
だけど、総合原価計算とか個別原価計算とかいった簿記的原価計算(『コスト~』では「伝統的原価計算」と呼ぶ)は、全て間接費の配賦を前提としているので、それを基準にして受注可否を判断すると、固定費を除けば黒字の案件でも配賦基準(標準操業度など)の設定次第で赤字=受注しないという誤った判断になってしまうことがある。
スループット会計なら、社内に残る価値だけを評価するので、そういった過誤は防げる。

スループットを増やすための施策は、収益を増やすか外部へ出て行く変動費を減らすかの二択なので、管理する対象も明確だ。当然、純利益を増やそうと思ったら(スループットは確保した上で)作業経費を削減するのみ。
ただ、スループット会計では、スループットを増やすことを主眼に置くので、作業経費の削減はあまり重視されない。というのも、むやみに作業経費を減らす所に主眼を置くと、スループットの源である収益を減らすことに繋がることが多いからだとか。営業の経費節減とかはそうなのかも。

あと、工程の外注の是非について考えるときは、スループット会計を使うべき。社内原価は、伝統的原価計算で計算されていることが多いため、間接費が乗せられて高くなっていることが多く、その工程を「外注したほうが安い」と評価されることが多い。
しかし、スループット会計を用いてそれを評価すれば、持っている社内のリソースを活用すればキャッシュの流出が少なく、利益に繋がることが分かる。
よく、現場の作業改善によるコスト・リダクションとか言うけれども、労務費なら外注した分の工程の人間を削らない限り、原料の使用量を減らしてもそれの購入量が減らない限り、出て行くお金を少なくすることは出来ない。スループット会計ならそれが良く分かる。


◇連結スループット(『コスト~』p.24~)
僕にとってすごく新鮮だったのは、”連結スループット”の考え方。
企業の成績・評価は連結決算で決まる。だから、スループットもグループ全体の視点で見なければならない。グループ会社への外注は、その会社単体で見ると外部購入費なんだけど、グループで見ると同一決算内のやり取りで、それはグループの付加価値に留まるので、外部購入費ではない。外部に流出する費用ではない。
グループ会社への業務委託などを評価する際には、連結スループットで考えたほうが良い。
(ただし、税務対応上、取引価格が合理的・構成である必要はある)
…なるほどねえ。
経営者の評価は企業の評価=連結決算で決まるし、従業員の給与・賞与も企業の評価に連動する部分がある。特に管理職なら。だから連結スループットを改善していくことが重要なんだ。僕の勤め先は大きな会社の子会社で、僕はそこ独自の社員なのだけれども、従業員のほとんどは親会社からの出向者で、彼らの賞与は親の連結決算(と春闘の結果)次第で上下する。グループ会社との取引も多い。僕の勤め先の財務分析をする際には、連結スループットの考えが重要だ。


◇スループット・ダラーとダラー・デイズ(『制約理論~』p.94~)

制約条件の稼動時間当たりに稼げるスループットを”スループット・ダラー”という。飽くまでも制約条件となっている工程の稼動で見るのがミソで、会社のスループットはそこで決まるので、そこを集中して管理しましょうというのがTOC。
これ、アメーバ経営の”時間当たり付加価値”にかなり近いのだけれども、その制約条件に集中するというところがちょっと違う。あれはアメーバ単位だったと思うので。

投資額に日数をかけたの値を”ダラー・デイズ”という。100ドルを100日間投資したら1万ダラー・デイズ。1万"円"を10日間投資したら10万円デイズ。2万円を5日間投資しても10万円デイズ。リターンも同じ尺度で測り、投資ダラー・デイズを上回れば投資を回収できたと見なす、らしい。
ダラー・デイズはー…NPV(賞味現在価値)に近いのかな。金額に時間を加味して考えるという意味では。
ただ、NPVよりずっと簡便で分かりやすいのがいい。


◆英語
なし


2009年8月9日日曜日

【8/5~8/8】夏だ!花火だ!無関係だ!



仕事では、新人の指導をしたり会議をしたりしていた。

経営を改善するための会議に定時後に参加。
管理職各位が居並ぶ中にいたので、意見が大体出尽くした頃に「おい、若いの、なんか意見ないんか」と振られたので、
「個別具体的な改善案を考える前に、世界の競合と張り合い伍していくつもりなのか、国内の需要に応えることに特化して縮小均衡していって最終的に撤退するつもりなのか、先に決めたほうがいいんじゃないですか?」
と思っていたことを言ってみたら苦笑い&スルーされた。
まあ、そんなもんか。
ゴールの設定によって改善案も変わるはず(競合と張り合うなら積極投資が必要だが、縮小均衡なら追加投資はしたくない)なので僕の言っていることは自分では間違ってはいないと思っているけれども、何か権威ある文献やデータに依拠してメッセージを出さないとだめだよね。今後はそういう方向でちょっとデータ集めをがんばってみよう。

原価計算について経理の人と工場の人と一緒に開催している勉強会があった。僕は上司が用意した資料を元に概要を説明せよとのミッションを授かっていたが、財務BS・財務PL・管理PLと、その中の財務原価計算・管理原価計算の差異etcというトピックはかなり広大な内容を含んでいるので、話している途中で訳が分からなくなりアワアワしてしまい、途中から上司に交代。
情けないがしかたない。上司の資料はかなり網羅的で良くできたものだったが、僕が準備不足だった。反省。しかもその後ブルーな気分になり、あまり発言できなかった。反省。
内容は理解しているつもりだったが、理解していることと体系立てて説明できることはまた別の問題ということだ。

◆
僕はどうも人に説明するというのが下手で、公私両面でいろいろ損をしている気がする。
なぜ説明が下手なのか、理由として
 1.理解している”つもり”だけど本当は分かっていない。
  (1)そもそもの知識が足りない
  (2)知識はあるが整理されていない
 2.伝えようという意志が足りない
 3.説明テクニックが身についていない
というのを考えた。多分、仕事上のことについては1&3要因が大きいと思う。
分野にもよるけれども、会社の原価計算システムについては、自分はかなり把握しているつもりだけれども、上司みたいに自分で図を描いてみたことはなかった。
綺麗な、人に見せられるものでなくてもいいから、自分で図解してみることが必要かもしれない。
私的な領域でも、例えば自分が愛好している音楽やら何やらについて、それがどれほど素晴らしいものかを人に伝えるのがうまく行ってない。
それは2の要因かもしれないが、そもそも没入具合が足りないのかもしれない。ソワカちゃんだって、本当にハマっていたらkihirohitoさん関連の作品は完全に視聴していてしかるべきだし、少なくとも数作品は暗記くらいしているはず。だけど、このblogで紹介記事を書いた時点ではそうではなかった。僕の紹介記事について友人から感想を訊く機会があったけれども、いまいちソワカちゃんの良さが伝わっていなかったというか、見たいと思わせるのには成功していなかったようで、自分のコピー能力のなさにがっかりした。
その点、かがみさんの作品紹介は、全然知らん分野のものであっても「見たい」「やってみたい」と思わせるものが多くて、悔しいけれども感心する。長年取り組んできたジャンプ感想で培ったメソッドやテクがあるんだろうなあ。
最近だとバビル二世や9条ちゃんの紹介が熱かった。

そう。そうだ!熱さなんだ。熱さが伝わることが重要なんだ。
その分野の中の位置づけとかカテゴライズとかそういう外形的なものはどうでもよくて、いかに自分がその作品やキャラのことを愛しているかを表現すべきなんだな!
今この文章を書いてて分かった。
その分野に興味がない人でも、書き手の人格には興味があることが多いはず。その人がいかにハマっているかということが分かるような文章を書くべきなんだ。
んー、それがわかっても具体的に何をどう書けばいいかは分からないけど、今後はそういうことを意識してやってみよう。。

◆
8/8の夕方に大阪方面へ出かけたら、電車がありえないほど混んでいた。淀川花火大会があったらしい。まあ、誘う人も誘ってくれる人もいないから、僕には無関係だが。
とはいえ、みんな連れ立ってウキャウキャしているのを見ていると、なんだか自分が孤独な人間のように思えて、寂しくなってきた。
でもよくよく考えると、学生時代は友人や恋人がいても花火なんかほとんど見に行ってないじゃないか。だから別に何かが変わったわけではない、はずだ。

◆
あ、夏休みに入ったのでしばらく田舎に行きます。というか今まさに新幹線で移動しながらこの日記を書いてるんだ。
Eモバの圏外というド田舎へ行くのでしばらく更新できないかも。

◆ニュース
酒井法子容疑者、か。。。
ごめん。。。興味とか思い入れないや。
それよりお塩先生の続報が消えてしまっているので困る。マスコミは報道出してくれよ。そっちの方が興味あるんだ。

◆metafilter
メタフィルターから拾ってくるものが多いので、もうメタフィルタータグを作ってもいいと思うんだ。


The Chickening is a video game about a chicken who shoots lasers. Out of his eyes. Flying pizza shot out of evil cat heads from Paris, France, Uranus have invaded Earth and transformed the President of The United States of Mexico, Robot Abraham Lincoln, into a piece of broccoli. From the center of the earth the Pentagon desperately dispatches their best agent: Agent 69-420 aka The Chickening. His mission: Destroy Everything and Save the Broccoli!

「ザ・チキニング」は、目からレーザービームを発射するニワトリのゲームだ。
フランスのパリから来た邪悪な猫の首から空飛ぶピザが発射され、ウラヌス神は地球を侵略してメキシコ合衆国大統領のリンカーン・ロボをブロッコリーに変えてしまった。
地球の中心ペンタゴンは、やけくそになって最強のエージェントを派遣した。
エージェント69-420、またの名を「ザ・チキニング」。
全てを破壊し、ブロッコリーを救うのだ!

何を言っているのか分からないと思うけど、多分僕の英語力(日本語力)だけのせいではないと思う。





こ、これは具現化した悪夢だ…と思ったら、メタフィルターにも同じようなコメントがあって笑った。文化は違えどこれに感じることは一緒なんだな。特に自機(チキニング)がライフ切れ直前の悪夢描写センスが切れすぎ。
イントロダクション動画が冒頭の紹介文の内容なのだけど、文章よりもかなりキていてやばいw





まだサイト内の徘徊があまりできてないので、何が可能なのか良く分からないが、どうも世界中の言語の発音のアーカイブを作ろうというプロジェクトっぽい。
サイトに飛んでみるまでは単に語学学習上の興味しか持ってなかったけど、これはそれ以上の何か、もしかしたらものすごく偉大なプロジェクトになるんじゃないかという気がする。
forvo:
forvo日本語ページ:


◆英語
このところなし。
僕の耳はkihirohito作品聴くのに忙しいんだ…

2009年8月6日木曜日

【8/4】亜希子、もし付き合えたあかつきには、オレの為に真っ黒に染めてくれ。


なんだか集中力がなく、仕事がすすまない。
いつもそうだといえばそうだが…
精神的夏バテかなんだろうか。

◆ネタニュース
世間はお塩先生のニュースばかり。
薬は想定内だけど死体がねえ。。。
死んだのは先生とどういう関係の誰なんだろう?
殺してはいないにしても保護責任者遺棄致死とかそういう罪になるのかな。
というか、関係者が高級マンションを借りていて、お塩先生は出入り自由で、住んでもいない女がそこで裸で死ぬって状況は、どう考えても今回初めて女とそこにいたわけじゃないよね。定常的にそこでアウアウな状況があって、たまたま今回は悪い方へ転がったとしか思えない。

まあ、お塩先生はハードコアだから仕方ない。

そんなことより!
矢田亜希子の今後の方が問題だ。
子連れなどなんの問題もないので、早くハードコアの先生を見限り、ファッションパンクの僕と結婚するべきだ(ただし、黒髪にして)。


◆英語:
なし